もくじ
意味・教訓 – 広範な知識と優れた記憶力
「博覧強記」とは、広く様々な書物を読み、多くの事柄をよく記憶していることを意味する四字熟語です。
知識が非常に豊富で、かつ記憶力にも優れている人を称賛する際に用いられます。
学問や知識に対する深い理解と、それを保持する能力を併せ持っている状態を示します。
語源・由来 – 知識の海を記憶する力
「博覧強記」は、「博覧」と「強記」という二つの語から成り立っています。
- 博覧(はくらん):「博」は範囲が広いこと、「覧」は見ること、読むことを意味します。
合わせて、広く書物や資料を読み、様々な知識に触れている様子を表します。 - 強記(きょうき):「強」は物事をしっかりと保持する力、「記」は記憶することを意味します。
合わせて、見聞きした事柄を忘れずに、しっかりと覚えている、優れた記憶力を指します。
この言葉は、古くから学問や知識を尊ぶ文化の中で、理想的な知識人の姿を示す言葉として使われてきました。
膨大な情報をインプットし(博覧)、それを確実にアウトプットできる状態(強記)は、多くの人が目指す境地と言えるでしょう。
使用される場面と例文 – 知識人を称える言葉
「博覧強記」は、非常に物知りで記憶力が良い人を称賛したり、その能力を客観的に述べたりする場面で使われます。
学者や研究者、あるいは身近な物知りの人に対して使うことができます。
例文
- 先生はまさに博覧強記で、どんな質問にも的確に答えてくださる。
- 彼は若くして博覧強記の才を発揮し、周囲から期待されている。
- 彼女の博覧強記ぶりには、いつも感心させられる。
類義語 – 知識の豊かさを示す言葉
- 該博洽聞(がいはくこうぶん):知識が広く、見聞も豊かであること。
「該博」も「洽聞」も、広く物事を知っていることを意味します。
「博覧強記」とほぼ同じ意味ですが、より学問的な知識の広さ・深さを強調するニュアンスがあります。 - 博学多才(はくがくたさい):学識が広く、多くの分野で才能を発揮すること。
「博学」は知識が広いこと、「多才」は多くの才能を持つことです。
「博覧強記」が知識の量と記憶力に焦点を当てるのに対し、「博学多才」は知識の広さに加えて、多様な能力を持っている点を強調します。
対義語 – 知識や才能の不足を示す言葉
- 浅学非才(せんがくひさい):学問の知識が浅く、才能も乏しいこと。
自分を謙遜して言う場合にも使われます。
※「博覧強記」が持つ知識の広さ、深さ、記憶力とは正反対の状態です。 - 寡聞にして見る所寡なし(かぶんにしてみるところすくなし):見聞が狭く、知識や見識が乏しいことの謙譲語。
※広く見聞きしている「博覧」とは対照的に、見聞が少ないことを表します。 - 無学無識(むがくむしき):学問がなく、知識や見識がないこと。
※学問や知識を広く身につけている「博覧強記」とは全く逆の状態です。
英語での類似表現 – Vast Knowledge and Memory
- encyclopedic knowledge
意味:百科事典のような知識。非常に広範囲で詳細な知識を持っていることを表します。 - well-read and retentive
意味:博識で記憶力が良い。
“well-read”は多くの本を読んでいること、”retentive”は記憶力が良いことを意味し、「博覧強記」の構成に近い表現です。 - erudite
意味:博学な、学識のある。深い学識を持つ人を指す形容詞です。
使用上の注意点 – 使う相手と状況への配慮
「博覧強記」は優れた能力を称賛する言葉ですが、使う際には少し注意が必要です。
相手によっては、あまりに直接的な称賛が嫌味に聞こえたり、プレッシャーに感じられたりする可能性も考えられます。
また、自分自身について「私は博覧強記だ」と言うのは、過度な自慢と受け取られかねません。
相手や状況を考慮し、謙虚な気持ちで使うことが望ましいでしょう。
まとめ
「博覧強記」とは、広く書物を読み、その内容をしっかりと記憶している、優れた知識と記憶力を指す四字熟語です。
学識豊かな人物を称賛する際に用いられる言葉であり、「博学多才」や「該博洽聞」といった類義語があります。
知識や学問を尊ぶ文化の中で、理想的な姿の一つとして認識されてきました。
この言葉を使う際は、相手への敬意を払い、状況に応じて適切に用いることが大切です。
知識を深め、記憶力を鍛えることは、いつの時代も価値あることと言えるでしょう。
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