牛に引かれて善光寺参り

ことわざ
牛に引かれて善光寺参り(うしにひかれてぜんこうじまいり)
短縮形:牛に引かれて善光寺

15文字の言葉」から始まる言葉
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意味・教訓

「牛に引かれて善光寺参り」とは、自分から進んで行ったのではなく、他人に誘われたり、思いがけない出来事がきっかけで、良い方向に導かれることのたとえです。

特に、信仰心のない人が、ひょんなことから信仰の道に入ることを指して使うことが多いですが、現在ではより広く、思いがけないきっかけで良い方向に導かれること全般に使われます。

語源・由来

このことわざは、長野の善光寺に伝わる伝説に由来します。

信心薄い老婆が、ある日、牛に布を奪われました。
怒って牛を追いかけるうちに善光寺にたどり着き、そこで牛が観音様の化身であったと気づき、信仰に目覚めたという物語です。

この伝説にはいくつかのバリエーションがあり、老婆が信心深いとされる場合や、牛が単なる牛として描かれる場合もあります。しかし、「布を干していた老婆が牛に導かれる」という基本的な筋書きは共通しています。

この話は、『今昔物語集』や『沙石集』などにも類話が見られ、古くから広く知られていたことがわかります。

使用される場面と例文

「牛に引かれて善光寺参り」は、自分から積極的に行動したわけではないのに、偶然の出来事や他人の誘いがきっかけで、良い結果に繋がった、という場面で使われます。

例文

  • 「友人に誘われて、なんとなく始めたボランティア活動だったが、今ではすっかり夢中になっている。まさに牛に引かれて善光寺参りだよ。」
  • 「たまたま通りかかった骨董市で、掘り出し物を見つけた。牛に引かれて善光寺参りとはこのことだ。」
  • 「興味本位で参加したセミナーで、人生を変えるような出会いがあった。牛に引かれて善光寺参りだったのかもしれない。」
  • 希望しない部署に配属されたが、そこで天職を見つけた。まさに牛に引かれて善光寺参りだ。

文学作品等での使用例

泉鏡花の小説『歌行燈』には、以下のような一節があります。

「(前略)ただ何となく、誘わるるがままについて来た、牛にひかれて善光寺参りとでも云うようなもので、(後略)」

これは、主人公が、自分の意志ではなく、何かに導かれるようにして旅に出る場面です。
「牛に引かれて善光寺参り」という表現が、主人公の主体性のなさを表すと同時に、どこか神秘的な運命を感じさせる効果を生み出しています。

類義語

  • 怪我の功名:失敗や過失が、意図せず良い結果をもたらすこと。
  • 瓢箪から駒:意外なところから意外なものが出てくること。特に、冗談で言ったことが現実になること。
  • 棚からぼた餅:何の努力もせずに思いがけない幸運が舞い込むこと。
  • 鴨が葱を背負って来る:うまいことが重なり、相手にとって非常に都合が良い状況になること。

関連語

  • 善光寺:長野県長野市にある無宗派の寺院。
  • (えにし):人と人との不思議なめぐり合わせ。

対義語

明確な対義語はありませんが、以下のような言葉が対照的な意味合いを持つと考えられます。

  • 主体的な行動:自分で考え、判断し、行動すること。
    (他人に左右されず、自身の意思で行動する、という意味で対照的。)

英語表現(類似の表現)

  • Be led by the nose
    直訳:鼻で引かれる。
    意味:人に言われるがままになる、自分で考えずに行動する。(必ずしも良い結果に繋がるとは限らない。)
  • A blessing in disguise
    意味:見かけは悪いが、実は良い結果をもたらすもの。
  • Accidental good fortune
    意味:偶然の幸運。
  • Every cloud has a silver lining.
    意味:どんな悪いことにも良い面がある。

まとめ

「牛に引かれて善光寺参り」は、思いがけない出来事や他人の誘いがきっかけで、良い方向に導かれることを意味することわざです。
長野の善光寺に伝わる老婆と牛の伝説に由来し、古くから多くの人々に親しまれてきました。
自分から進んで行動するだけでなく、周囲の状況や人との縁を大切にすることも、人生を豊かにする上で重要である、という教訓を示していると言えるでしょう。

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