「二の舞」の意味・語源・由来
意味
「二の舞」は、前の人と同じ失敗を繰り返すことや同じような望ましくない結果になることを表現しています。
誰かの失敗を見たにもかかわらず、同じ過ちを自分も犯してしまう状況によく使われます。
「二の舞を演じる」「二の舞になる」といった言い方が一般的です。
語源・由来
この表現は雅楽の「安摩(あま)・二の舞」という古い舞楽が起源です。
「安摩」では、竜王の面をつけた演者が独特の滑稽な動きをする舞を披露します。
その後の「二の舞」では、別の演者が登場し、先ほどの「安摩」の動きを面白おかしく模倣します。
この舞の様子から、「先人の真似をして同じ失敗をする」という意味で「二の舞」という言葉が日本語に定着しました。
「二の舞」の使い方(例文)
- 前任者の失敗から何も学ばなかった彼は、結局二の舞を演じることになった。
- バブル崩壊の教訓を忘れ、また同じ投資に走れば二の舞になるのは目に見えている。
- 彼女は離婚した姉の二の舞にならないよう、パートナーとしっかり向き合う時間を大切にしている。
- 十分な市場調査をしなかった我が社は、競合他社と同じ二の舞を踏むことになってしまった。
- 先人の過ちを繰り返さないことが、二の舞を避ける唯一の方法だ。
注意! 間違った使い方
- 彼は見事なパフォーマンスで、先輩の二の舞を見せてくれた。(誤用)
※「二の舞」は否定的な意味を持ち、成功例や良い結果の模倣には使いません。
「二の舞」の文学作品などの用例
夏目漱石の小説『吾輩は猫である』には、以下のような用例があります。
まことに気の毒の至りだが、彼も友人の二の舞を演じているのだから仕方がない。
「二の舞」の類義語
- 轍を踏む(てつをふむ):
車の通った後にできる溝(轍/わだち)を踏むという意味から、前の人と同じ失敗を繰り返すこと。 - 前轍を踏む(ぜんてつをふむ):
「前の人の轍を踏む」という意味で、先人が失敗した道筋をそのまま辿ってしまうこと。 - 同じ轍を踏む(おなじてつをふむ):
過去に誰かがした失敗と同じ過ちを自分も犯してしまうこと。 - 失敗を繰り返す(しっぱいをくりかえす):
同じような失敗を何度も繰り返すという、より直接的な表現。
「二の舞」の対義語
- 他山の石(たざんのいし):
他の山の石でも自分の玉を磨くことができるという中国の古典に由来し、他人の失敗を見て自分の教訓にすることを意味します。 - 人の振り見て我が振り直せ(ひとのふりみてわがふりなおせ):
他人の行動を観察して、自分の行いを省みて改善するという教え。 - 前車の覆るは後車の戒め(ぜんしゃのくつがえるはこうしゃのいましめ):
前を行く車が転倒するのを見た後続の車は、それを教訓として同じ失敗を避けるべきだという教訓。
使用上の注意点
「二の舞」は、否定的な文脈で使われる表現です。良い結果や成功を模倣する場合には使用しません。
「二の舞を避ける」「二の舞にならないよう」など、警告や注意を促す際によく用いられます。
「二の舞」の英語表現
repeat the same mistake
意味:
同じ間違いを繰り返す。
例文:
Don’t repeat the same mistake as your predecessor.
(前任者の二の舞を演じるな。)
follow in someone’s footsteps (in a negative way)
意味:
(否定的な意味で)人の足跡をたどる。
例文:
I don’t want to follow in my brother’s footsteps and fail the exam.
(兄の二の舞になって試験に落ちたくない。)
make the same blunder
意味:
同じ失敗を繰り返す
(blunder:大失敗)
例文:
I made the same blunder again.
(また二の舞を演じてしまった)
まとめ
「二の舞」は、先人の失敗を教訓にできず、同じ轍を踏んでしまうことを表現する日本の慣用句です。
古来の雅楽における「安摩・二の舞」という舞踊から生まれたこの言葉は、現代でも日常会話やビジネスシーンで頻繁に使われています。
教訓を活かせずに失敗を繰り返す状況を簡潔に表現できるこの言葉は、「前車の轍」「同じ穴の狢」などの類義表現とともに使い分けることで、状況に合わせた豊かな表現が可能になります。
他人の失敗から学び、「二の舞」を演じないようにすることは、私たち自身の成長にとって大切な知恵といえるでしょう。
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