「這えば立て、立てば歩めの親心」の意味・語源・由来
意味
「這えば立て立てば歩めの親心」は、子供の成長を願う親の気持ちを表したことわざです。
赤ちゃんがハイハイを始めると、次は立ってほしいと願い、立つようになると歩くことを期待する——
親は常に子供の成長を見守りながら、さらなる成長を願い続けるものです。
このことわざには、親の無償の愛情が込められていると同時に、「子供の成長を期待する気持ちは尽きることがない」という意味も含まれています。
また、時には「親の期待が大きすぎること」や「過保護になりすぎること」を指摘する文脈で使われることもあります。
語源・由来
このことわざの正確な出典は不明ですが、江戸時代の文献にも類似の表現が見られます。
例えば、『浮世草子』や『俚言集覧(りげんしゅうらん)』などの江戸時代の書物には、親が子供の成長を願う言葉が多く記録されています。
「這う(はいはいをする)」→「立つ」→「歩く」という流れは、人間の成長過程の象徴的な動きです。
この自然な発達段階を通じて、親が常に子供の成長を願い、さらなる成長を望む心理が昔から変わらないことが、このことわざの広まりにつながったと考えられます。
また、日本に限らず、世界中の親が子供の成長を願うのは普遍的な感情です。
同じような親の気持ちを表すことわざが、世界各国にも存在します。
「這えば立て立てば歩めの親心」の使い方(例文)
- 「息子がハイハイを始めたら、もうつかまり立ちをしないかと期待してしまう。まさに這えば立て立てば歩めの親心だね。」
- 「娘の成長は嬉しいけれど、少し寂しい気もする。這えば立て立てば歩めの親心とはよく言ったものだ。」
- 「孫の成長を楽しみにしている祖父母の姿を見ると、這えば立て立てば歩めの親心という言葉を思い出すよ。」
- 「子供に期待しすぎるのも考えものだよ。這えば立て立てば歩めの親心で、つい要求が高くなりすぎることもあるからね。」
「這えば立て立てば歩めの親心」の類義語
- 親心子知らず:親の愛情や苦労を子供はなかなか理解できないこと。
- 子は三界の首枷(こはさんがいのくびかせ):親は子供がいる限り、どこに行っても心配が尽きないこと。
- 目の中に入れても痛くない:子供が非常に可愛く、どんなことでも許せるほど愛おしいこと。
「這えば立て立てば歩めの親心」の対義語
「這えば立て立てば歩めの親心」に明確な対義語はありませんが、逆の意味を持つ言葉として以下のような表現があります。
- 親の心子知らず:子供は親の愛情や苦労を理解せず、自分のことばかり考えてしまうこと。
- 子を持って知る親の恩:自分が親になって初めて、親の気持ちが理解できるようになること。
- 過保護・親バカ:(現代的な表現)子供の成長を願うあまり、過度に甘やかしたり期待しすぎたりすること。
使用上の注意点
このことわざは、基本的に親が子を思う愛情を表す際に使用します。
子供の成長を願う気持ちは、親であれば誰もが持つ自然な感情であるため、肯定的な文脈で使われることが多いです。
ただし、過干渉や過保護な親の行動を揶揄する文脈で使われることもあります。
「這えば立て立てば歩めの親心」に類似した英語表現
このことわざにピッタリ対応する英語表現はありませんが、似た意味のフレーズを紹介します。
これらの表現を使うことで、日本のことわざの意味を英語で説明することができます。
Parents are never satisfied with their child’s progress, they always want them to grow more.
意味:親は子供の成長に決して満足せず、常にさらなる成長を願うものだ。
Parents always push their children to the next stage in life.
意味:親は常に子供を次の段階へ進ませようとする。
Parents always want the best for their children.
意味:親はいつも子供に最善を尽くしてほしいと願っている。
まとめ
「這えば立て立てば歩めの親心」は、親が子供の成長を願う気持ちを表すことわざです。
江戸時代から使われており、親の愛情が普遍的であることを示しています。
ただし、過干渉や期待しすぎることにもつながるため、バランスを考えることも大切です。
日常会話や子育てに関する話題で使える表現なので、ぜひ覚えて活用してください!
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