意味・教訓
「孝行のしたい時分に親はなし」とは、親孝行をしたいと思うようになった時には、すでに親は亡くなっていて、親孝行をする機会がない、という意味のことわざです。
親が生きているうちに、感謝の気持ちを伝え、できる限りの親孝行をすることの大切さを説いています。
「後悔先に立たず」という教訓を強く含んだ言葉です。
語源・由来
このことわざの正確な初出は不明です。しかし、少なくとも江戸時代には広く使われていたと考えられています。
古くから日本人に親しまれてきたことわざであり、親孝行の大切さと、それを実行することの難しさを表しています。
『沙石集』(無住道暁による仏教説話集)には、以下の説話があり、このことわざの背景にある考え方を示唆していると言えます。
また、仏教の報恩思想と結びつけて解釈されることもあります。
或人曰、死後可二レ有一ラ孝養カと云事、無住答曰、死後思ひ出さん事、生前には思ひ出さるべしと也。
(ある人が、「死んだ後に孝養ができるだろうか」と言ったことに対し、無住は「死んだ後に思い出すようなことは、生きているうちに思い出すべきである」と答えた。)
使用される場面と例文
「孝行のしたい時分に親はなし」は、親孝行の機会を逃してしまった後悔の念を表す時や、親が健在なうちに親孝行をすべきだと諭す時に使われます。
例文
- 「若い頃は親に反抗ばかりしていた。今になって親孝行したいと思うが、孝行のしたい時分に親はなしだ。」
(後悔の念) - 「孝行のしたい時分に親はなしと言うから、帰省した際には、できるだけ親と過ごす時間を作るようにしている。」
(親孝行を促す) - 「祖母を亡くして、孝行のしたい時分に親はなしという言葉が身にしみた。もっと話を聞いておけばよかった。」
(後悔と実感) - 「親孝行は先延ばしにしてはいけない。孝行のしたい時分に親はなしという言葉を忘れないようにしたい。」
(教訓)
文学作品等での使用例
ことわざ自体ではないですが、『沙石集』(無住道暁による仏教説話集)では、親孝行の大切さについての説話があります。
或人曰、死後可レ有レ孝養らうかと云事、無住答曰、死後思ひ出さん事、生前には思ひ出さるべしと也。
類義語
- 石に布団は着せられず:墓石に布団を着せても意味がないように、死んでしまった親に孝行はできないということ。
関連語
- 親孝行:親を大切にし、真心をもって尽くすこと。
- 恩返し:受けた恩に報いること。
- 親の意見と茄子の花は千に一つも無駄がない:親の意見や忠告は、茄子の花のように、すべて実を結び、役に立つものであるということ。
関連する仏教の概念
- 報恩(ほうおん):受けた恩に対して報いようとすること。
対義語
- 親の心子知らず:親が子を思う気持ちは非常に深いものだが、子はそれに気づかない、という意味。
(親の気持ちを子が理解しないことへの嘆き)
英語表現(類似の表現)
- You never miss the water till the well runs dry.
直訳:井戸が枯れるまで、水のありがたさは分からない。
意味:失って初めて、その大切さに気づく。 - One cannot pay the debt to his parents.
意味:親への恩は返すことができない。 - You will never know the value of your parents until they are gone.
直訳:親がいなくなるまで、親の価値は分からない。
使用上の注意点
このことわざは、親を亡くした人に対して直接使うのは避けるべきです。
相手の悲しみを深めてしまう可能性があります。
特に、親を亡くした直後の人に使うこと、親との死別について話題にすることは慎みましょう。
また、親との関係が良好でない人や、複雑な家庭環境にある人に対して使うのも、配慮が必要です。
まとめ
「孝行のしたい時分に親はなし」は、親孝行をしたいと思った時には、すでに親は亡くなっていて手遅れであるという、深い後悔と、そこから学ぶべき教訓を表すことわざです。
親が健在なうちに感謝の気持ちを伝え、できる限りの親孝行をすることの大切さを教えてくれます。
「後悔先に立たず」という言葉があるように、このことわざを胸に刻み、後悔のないように親との時間を大切にしたいものです。
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