「痘痕も靨」の意味・語源・由来
意味
惚れた目で見れば、相手の欠点(痘痕:天然痘の痕跡)さえも魅力的な点(靨:えくぼ)に見えるという意味です。
愛情や好意を持っていると、欠点すらも美点として受け止められる、という心理状態を表しています。
盲目的な愛情や、ひいき目を表す際によく用いられます。
「惚れた弱み」と似たような状況で使われることが多いです。
語源・由来
このことわざは、江戸時代には既に使われていたとされています。
- 痘痕(あばた):
天然痘(疱瘡)が治った後に顔などに残る瘢痕(傷跡)のことです。
かつては天然痘が猛威を振るい、多くの人がこの痘痕に悩まされていました。
現代の感覚では考えられないかもしれませんが、当時はごくありふれた身体的特徴の一つでした。 - 靨(えくぼ):
笑ったときなどに頬にできる小さなくぼみのことです。
可愛らしさや愛嬌の象徴として、古くから好まれてきました。
このことわざは、本来なら欠点であるはずの痘痕が、恋する者にとっては魅力的なえくぼのように見える、という逆説的な表現を用いることで、愛情の持つ盲目性を巧みに表しています。
「痘痕も靨」の使い方(例文)
- 「彼は彼女の全てが好きで、まさに痘痕も靨といった様子だ。」
- 「痘痕も靨と言うけれど、さすがにそれはひいき目すぎると思う。」
- 「親にとって、自分の子供は痘痕も靨に見えるものだ。」
- 「彼女は彼の欠点に気づいていない。痘痕も靨とはよく言ったものだ。」
- 「痘痕も靨で、彼が何をしても許してしまう自分が情けない。」
「痘痕も靨」の文学作品、小説などの使用例
「…アノ女房のどこがよいぞと…痘痕も靨の欲目ぢゃ程な…」
浄瑠璃「心中天網島(しんじゅうてんのあみじま)」より
この一節は、主人公が他人の妻に夢中になっている様子を揶揄する場面で使われています。
「痘痕も靨」の類義語
- 惚れた欲目(ひいき目):好きになった相手を、実際以上に良く見てしまうこと。
- 恋は盲目:恋をすると理性を失い、相手の欠点が見えなくなること。
- 惚れて通えば千里も一里:惚れていれば遠い距離も苦にならないこと。(少しニュアンスが異なるが、愛情の強さを表す点で共通)
- 色眼鏡で見る:特定の色が付いた眼鏡で見ると、すべてのものがその色に見えるように、先入観や偏見を持って物事を見ること。(恋愛に限らず使用可能)
「痘痕も靨」の対義語
- 欠点ばかりが目に付く:相手の悪いところばかりが気になってしまう状態。
- 粗探しをする:相手の欠点や短所をわざわざ探し出すこと。
- 冷静な目で見る/客観的に見る:感情に左右されず、ありのままに物事を見ること。
使用上の注意点
このことわざは、愛情によって判断が曇っている状態を、やや皮肉を込めて言う場合に使われます。
本人に直接言うと失礼にあたる場合があるので、注意が必要です。
また、相手の欠点を指摘する際に、「痘痕も靨と言うけれど…」と前置きすることで、婉曲的な表現として使うこともできます。
「痘痕も靨」に類似した英語表現
Love is blind.
直訳:愛は盲目である。
意味:恋をすると相手の欠点が見えなくなること。日本語の「痘痕も靨」に最も近い表現。
例文:
He doesn’t seem to notice her flaws. Love is blind, I guess.
(彼は彼女の欠点に気づいていないようだ。痘痕も靨ってことだね。)
Beauty is in the eye of the beholder.
直訳:美は見る人の目の中にある。
意味:何が美しいかは、それを見る人の主観による。
「痘痕も靨」と異なり、美しさ全般について述べている。恋愛に限らず使用可能。
例文:
One person’s trash is another person’s treasure. Beauty is in the eye of the beholder.
(ある人にとってのゴミは、別の人にとっての宝物。美は見る人の目の中にある。)
まとめ
「痘痕も靨」は、愛情や好意によって、相手の欠点さえも魅力的に見えてしまう心理状態を表すことわざです。
このことわざは、恋愛における盲目性を端的に表すとともに、人間の主観的な認識のあり方を示唆しています。
類義語や対義語、英語表現と合わせて理解することで、より多角的にこのことわざを捉えることができるでしょう。
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