器用貧乏

四字熟語
器用貧乏(きようびんぼう)

7文字の言葉き・ぎ」から始まる言葉
スポンサーリンク

「器用貧乏」の意味 – 多才さが招く不遇

「器用貧乏」とは、何事も要領よく、ある程度うまくこなすことができる器用さを持っているために、かえって一つのことに集中できず、大成したり、経済的に豊かになったりできないことを指す言葉です。

様々なことに手を出してそつなくこなせるものの、特定の分野を極めるまでには至らない。
その結果、中途半端になってしまい、大きな成功を掴めない、という少し皮肉な状況を表しています。
「広く浅く」の典型とも言えるかもしれません。

「器用貧乏」の成り立ち – 二つの言葉が示す皮肉

「器用貧乏」は、「器用」と「貧乏」という対照的な二つの言葉が組み合わさることで、その意味合いを深くしています。

  • 器用:手先が器用であること、物事を要領よくこなす才能があること。一般的には肯定的な意味合いで使われます。
  • 貧乏:経済的に貧しいこと、満たされない状態。否定的な意味合いが強い言葉です。

この二つが結びつくことで、「器用であるにもかかわらず(あるいは、器用であるがゆえに)、貧乏(成功しない、豊かになれない)である」という、一種のパラドックス、皮肉な状況を示唆しています。
特定の故事や人物に由来する言葉ではありません。

「器用貧乏」が使われる場面と例文 – 日常や仕事での描写

「器用貧乏」は、自分自身について謙遜や自虐的に使う場合と、第三者の状況をやや同情的、あるいは少し批判的に評する場合に使われます。
何でも屋のように様々なことをこなせる人を指して、「器用貧乏でなければ、もっと専門性を活かせたのに」といった文脈で使われることがあります。

例文

  • 「彼は絵も音楽も文章もこなすが、どれも中途半端で、まさに器用貧乏を地で行っている。」
  • 「色々な資格を取ったけれど、結局どれも仕事に活かせず、器用貧乏になってしまった。」
  • 「(自己紹介で)何でもやりますが、器用貧乏なのが玉に瑕です。」
  • 「彼女は何でもできるから、かえって一つの仕事に集中できず、器用貧乏になっているのかもしれない。」

「器用貧乏」の類義語 – 似た意味を持つ言葉

  • 多芸は無芸:多くの芸に通じている人は、かえって一つの芸に秀でていないこと。意味合いは「器用貧乏」と非常に近いです。
  • 何でも屋:様々な仕事や用事を請け負う人。必ずしも「貧乏」のニュアンスを含むわけではありませんが、専門性に欠けるという点で共通することがあります。
  • 便利屋:様々な雑用などを請け負う業者や人。「何でも屋」とほぼ同義です。

「器用貧乏」の対義語 – 専門性を表す言葉

  • 一芸に秀でる(いちげいにひいでる):一つの技芸や学問に特に優れていること。専門性を持ち、それを極めている状態です。
  • 専門家:特定の分野について、高度な知識や技術を持つ人。
  • ◯◯一筋:他のことには脇目もふらず、一つのことだけに打ち込んでいるさま。(例:役者一筋)
  • 名人:ある分野において、特に優れた技術を持つ人。

「器用貧乏」の英語での表現 – Jack of all trades

「器用貧乏」のニュアンスを英語で表現するには、いくつかの言い方があります。

  • Jack of all trades, master of none
    意味:「あらゆる商売のジャック(何でも屋)だが、何一つ極めていない」。意味・ニュアンスともに「器用貧乏」や「多芸は無芸」に非常に近い、最も代表的な表現です。
  • spread oneself too thin
    意味:一度に多くのことをやろうとしすぎて、どれも中途半端になる、手を広げすぎる。器用貧乏に陥る原因の一つを表す表現と言えます。

「器用貧乏」と現代 – 多様性と専門性の間で

かつて専門性が特に重んじられた時代、「器用貧乏」には少し残念な響きがありました。
現代では多様なスキルを持つこと(マルチスキル)の価値も認められていますが、「器用貧乏」という言葉自体は、やはり「広く浅く、大成しない」という元々のニュアンスを色濃く残しています。

そのため、多才な人を安易に「器用貧乏だ」と評すると、否定的な印象を与えかねません。言葉の持つ伝統的な意味合いと、現代の価値観との違いを少し意識しておくと良いでしょう。

一方で、自分自身について謙遜やユーモアを込めて使うのは、比較的受け入れられやすいかもしれません。

「器用貧乏」のまとめ – 多才さと専門性の間で

「器用貧乏」は、多くのことをそつなくこなせる器用さが、かえって一つの道を極める妨げとなり、大きな成功に繋がらないという、少し切なく色々と考えさせられる言葉です。

何でもできることは強みにも見えますが、時に専門性の欠如や集中力の不足を招く可能性を教えてくれます。
この言葉は、一つのことを深く掘り下げることと、幅広く対応できる柔軟性、そのバランスの大切さを現代の私たちにも問いかけているようです。

コメント