「団栗の背比べ」の意味・語源・由来
意味
「団栗の背比べ」とは、どれもこれも似たり寄ったりで、抜きん出て優れているものがいないことのたとえです。
特に、実力や能力が低い者同士が、互いに優劣を競い合っているような状況を指して使われることもあります。
語源・由来
このことわざは、団栗(どんぐり)の実が、どれも丸くて大きさに差がないように見えることから生まれました。
たくさんの団栗を並べて背の高さを比べても、ほとんど差がなく、どれが一番高いか判断しにくい様子を表しています。
このことから、似たようなものばかりで、特に優れたものがない状態を指すようになりました。
「団栗の背比べ」の使い方(例文)
- 「今年の新人たちは、みんな団栗の背比べで、誰が一番優秀か決めがたい。」
- 「どの候補者も似たり寄ったりで、団栗の背比べだ。」
- 「このチームの選手たちは、実力差がなく、団栗の背比べ状態だ。」
- 「AもBもCも大した商品ではない、まさに団栗の背比べだ」
注意! 間違った使い方、間違いやすい読み方
「団栗の背比べ」は「どんぐり」と読みます。「だんぐり」と読むのは間違いです。
また、明らかに優劣があるものに対して使うのは適切ではありません。
どんぐりのように「似たりよったり」なものに対して使いましょう。
「団栗の背比べ」の類義語・関連表現
類義語(ことわざ・慣用句)
- 五十歩百歩:少しの違いはあっても、本質的には同じであること。
- 目糞鼻糞を笑う:自分の欠点に気づかず、他人の同じような欠点をあざ笑うこと。
- 似たり寄ったり:互いに似ていて、あまり差がないこと。
- 甲乙つけがたい:どちらも優れていて、優劣をつけるのが難しいこと。
※「甲乙つけがたい」は、どちらもレベルが高く評価が難しい場合に使うのに対し、「団栗の背比べ」は、どちらも似たり寄ったりで大した差がないというやや否定的なニュアンスがあります。
関連する概念・心理
このことわざは、「比較」や「競争」といった人間の心理と深く結びついています。以下の言葉も関連性が高いです。
- 相対的評価:他人との比較によって評価が決まること。
「団栗の背比べ」の対義語
使用上の注意点
「団栗の背比べ」は、やや否定的なニュアンスを含む言葉です。
他人を評価する際に使うと、相手を不快にさせる可能性があるため、注意が必要です。
特に、目上の人や競争相手に対して使うのは避けるべきでしょう。
一方で、「どちらも優れていて優劣をつけがたい」といったポジティブな文脈では、「甲乙つけがたい」のほうが適しています。
例えば、「どの作品も素晴らしく、まさに甲乙つけがたい」といった表現なら、肯定的な意味で活用できます。
「団栗の背比べ」に類似した英語表現
Six of one and half a dozen of the other.
直訳:一方の6つと、もう一方の半ダース(6つ)。
意味:どちらも同じ、似たり寄ったり、団栗の背比べ。
例文:
Whether we take the bus or the train, it’s six of one and half a dozen of the other.
(バスで行くか電車で行くか、どちらも同じようなものだ。)
Tweedledum and Tweedledee
直訳:トゥィードルダムとトゥィードルディー
意味:非常によく似た二者を指すが、競争や優劣の概念は含まれない。
(ルイス・キャロルの「鏡の国のアリス」に登場する双子の兄弟)
まとめ
「団栗の背比べ」は、どれも似たり寄ったりで、抜きん出て優れたものがいないことを表すことわざです。
競争社会の中では、他人との比較は避けられないものですが、時には「団栗の背比べ」と割り切って、自分のペースで物事に取り組むことも大切です。
他人との比較に一喜一憂するのではなく、自分自身の成長に目を向け、個性や強みを伸ばしていくことが、より充実した人生を送るための鍵となるでしょう。
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「団栗の背比べ」の意味、例文、語源、類語、対義語、英語表現を詳しく解説。似たり寄ったりで差がない状況を指すこのことわざから、競争社会を生き抜くヒントを見つけましょう。
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