五十歩百歩

ことわざ 故事成語
五十歩百歩(ごじっぽひゃっぽ)
異形:50歩100歩

8文字の言葉こ・ご」から始まる言葉
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意味

「五十歩百歩」とは、少しの違いはあっても、本質的には同じであること、大差がないことを表すことわざ(故事成語)です。
どちらも不十分であったり、欠点があったりする場合によく使われます。
「五十歩」も「百歩」も、距離を表す言葉ですが、ここでは実際に歩いた距離ではなく、程度の差を比喩的に表しています。
ことわざの中では、否定的な状況や文脈で使われることが多いです。

読み方

「五十歩百歩」の読み方は、「ごじっぽひゃっぽ」と「ごじゅっぽひゃっぽ」のどちらも正しい読み方です。

「十」の音が「じっ」と「じゅっ」で揺れるのは日本語の発音の特徴です。
「五十(ごじゅう)」は「ごじっ」にも「ごじゅっ」にも変化します。

現代では「ごじっぽひゃっぽ」が一般的ですが、地域や世代によっては「ごじゅっぽひゃっぽ」と発音する方もいます。

語源・由来

(原文)
「填然として鼓をうち、兵刃すでに接す。甲を棄て兵を曳きて走る。あるいは百歩にして後とどまり、あるいは五十歩にして後とどまる。五十歩を以て百歩を笑わば、すなわち何如。」

(現代語訳)
「とどろとどろと太鼓を打ち、武器と武器を交えている。鎧を捨て武器を引きずって逃げる。
ある者は百歩逃げて止まり、ある者は五十歩逃げて止まる。五十歩逃げた者が百歩逃げた者を笑ったなら、どうであろうか。」

つまり、五十歩逃げた者も百歩逃げた者も、敵前逃亡したことには変わりなく、本質的には同じである、と説いたのです。
この話から、少しの違いはあっても、本質的には同じであることを「五十歩百歩」と言うようになりました。
「五十歩」と「百歩」は、数が違うだけで、どちらも「逃げた」という点では同じである、ということを表しています。

使用される場面と例文

「五十歩百歩」は、主に次のような場面で使われます。

  • 二つのものを比較して、どちらも大差がないことを表す場合。
  • どちらも不十分であったり、欠点があったりすることを指摘する場合。
  • 自分と他人を比較して、どちらも似たようなものであることを謙遜したり、自嘲したりする場合。

例文

  • 「彼の英語力も私の英語力も、五十歩百歩だ。」
  • 「A社の案もB社の案も、どちらも決定打に欠ける。五十歩百歩だ。」
  • 「兄も私も、運動神経は五十歩百歩だよ。」
  • 「今回のテストの結果は、前回と比べて五十歩百歩だった。」

文学作品等での使用例

「五十歩百歩」という表現は、古くから日本の文学や評論の中で使われています。
例えば、福沢諭吉の『学問のすゝめ』では、人々の間の学識の差について言及する際に、この言葉が用いられています。

「学のない者と、少しばかり学問を心得た者とを比べても、五十歩百歩の差に過ぎぬ。」

このように、「五十歩百歩」は本質的に大差がないことを示す表現として、文学や議論の中で使われることが多いです。

類義語

  • 団栗の背比べ:どれも似たり寄ったりで、抜きんでたものがないことのたとえ。
  • 目糞鼻糞を笑う:自分の欠点に気づかず、他人の欠点をあざ笑うこと。
  • 似たり寄ったり:どちらも同じようで、ほとんど違いがないこと。
  • 大同小異:ほぼ同じで、細かい点だけが少し違うこと。
  • どっちもどっち:どちらを選んでも大差がないこと。

関連する心理学の概念

  • 根本的な帰属の誤り
    他者の行動をその人の性格や能力に帰属させすぎる傾向。
    自分と他者の違いを過大評価し、「五十歩百歩」であることを見落としがちになる。
    fundamental attribution error.

対義語

  • 雲泥の差:非常に大きな差があること。天と地ほどの違いがあること。
  • 月とすっぽん:比較にならないほど、かけ離れていること。
  • 提灯に釣鐘:全く釣り合いが取れないことのたとえ。
  • 格段の差:非常に大きな差、隔たりのこと

英語表現(類似の表現)

  • Six of one and half a dozen of the other.
    意味:どちらを選んでも大差がない、どんぐりの背比べ。
  • Tweedledum and Tweedledee.
    意味:ほとんど違いのないもの、似たり寄ったりのもの。
    (ルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』に登場する双子のキャラクターに由来)
  • Potayto, potahto.
    意味:些細な違い、どうでもいい違い。(発音の違いを例にとった表現)
  • Much of a muchness
    意味: どれもこれも似たり寄ったり

まとめ

「五十歩百歩」は、少しの違いはあっても、本質的には同じであること、大差がないことを表すことわざです。どちらも不十分であったり、欠点があったりする場合によく使われます。

このことわざは、日常生活やビジネスシーンなど、様々な場面で使われ、私達に「大局的に物事を見る」ことの重要性を教えてくれます。
また、他人を批判する際に、「自分も同じようなものではないか」と自省するきっかけを与えてくれる言葉でもあります。

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