「もう、猫の手も借りたい!」「立っている者は親でも使えって言うし…」
忙しい時、つい口にしてしまいそうな言葉ですね。
この「立っている者は親でも使え」ということわざ、聞いたことはあるけれど、正確な意味や使う上での注意点はご存じでしょうか。
この記事では、この言葉の意味、背景、使い方、そして現代で使う際のポイントをわかりやすく解説します。
「立っている者は親でも使え」の意味・教訓
このことわざは、「非常に忙しくて人手が足りない時には、たとえ相手が敬うべき親であっても、遠慮せずに手伝ってもらうべきだ」という意味です。
目の前の作業をこなすことが最優先されるような緊急時や繁忙期には、立場にとらわれず、近くにいる人の助けを借りるのが合理的だ、という考え方を示しています。
効率を最優先し、なりふり構っていられない切羽詰まった状況を表す言葉です。
「立っている者は親でも使え」の語源
このことわざの明確な語源や出典は特定されていません。
しかし、江戸時代の町人文化など、忙しい日常の中で生まれた生活の知恵から来ていると考えられています。
「立っている者」、つまり近くにいて手が空いている人を最大限に活用するという、実利的で合理的な発想が根底にあるようです。
敬うべき「親」を引き合いに出すことで、状況の切迫感と、遠慮していられないという気持ちを強調しています。
「立っている者は親でも使え」が使われる場面と例文
非常に忙しく、人手が足りない状況で使われます。
「猫の手も借りたい」とほぼ同じような場面で、とにかく誰でもいいから手伝ってほしい、という切実な気持ちを表す際に用いられます。
- 引っ越しや大掃除:家族総出で作業に追われている時。
- 仕事での繁忙期:締め切り間近で、部署内の誰もが忙しくしている時。
- イベント準備:祭りの準備や地域の行事などで、人手が足りない時。
例文
- 「もう時間がない、『立っている者は親でも使え』だ!悪いけど君もこれを手伝ってくれ!」
- 「年末の大掃除は、まさに『立っている者は親でも使え』状態で、子供たちにもどんどん手伝わせたよ。」
- 「あまりの忙しさに、『立っている者は親でも使え』とばかりに、たまたま居合わせた別部署の人にまで作業をお願いしてしまった。」
「立っている者は親でも使え」の類義語・言い換え表現
- 猫の手も借りたい:非常に忙しく、どんな助けでも欲しい状況のたとえ。
※「立っている者は親でも使え」とほぼ同義で、繁忙を表す代表的な慣用句。 - 背に腹はかえられぬ:差し迫った重大事のためには、他のことを犠牲にするのもやむを得ないことのたとえ。
※目的のため手段を選ばない点で、「立っている者は親でも使え」の状況と通じる。
「立っている者は親でも使え」の対義語
「立っている者は親でも使え」の直接的な対義語となることわざは多くありませんが、目上の人を敬い、秩序を重んじる考え方とは対照的です。
- 長幼の序(ちょうようのじょ):年長者と年少者の間の、敬意に基づく秩序や序列。
※この考え方を重んじる場合、「親を使う」という発想は生まれにくい。 - 遠慮:相手に配慮して、言動を控えめにすること。
※「立っている者は親でも使え」は、この遠慮を取り払うべき状況を示す。
「立っている者は親でも使え」の英語での類似表現
英語で「立っている者は親でも使え」の「切羽詰まって手段を選んでいられない」というニュアンスに近い表現には、以下のようなものがあります。
- Needs must when the devil drives.
意味:悪魔が駆り立てる時には、そうせざるを得ない。
(必要に迫られればどんなことでもしなければならない) - Any port in a storm.
意味:嵐の中ではどんな港でも(避難所になる)。
(困難な時には普段選ばない手段でも受け入れざるを得ない)
これらの表現は、非常時には通常の遠慮や選択が通用しない状況を表す点で共通しています。
「立っている者は親でも使え」を使う上での注意点
このことわざは、文字通り「親や目上の人に命令してよい」という意味ではありません。
あくまで、極度の繁忙状態と、なりふり構わず助けを求める気持ちの比喩です。
使う際には、以下の点に注意が必要です。
- 言葉通りの実行は避ける:実際に親や目上の人に命令口調で指示するのは、大変失礼にあたります。
- 現代の感覚とのギャップ:職場などで安易に使うと、相手への配慮がない、あるいはパワハラと受け取られる可能性があります。
- 使う状況を選ぶ:本当に切羽詰まった状況を共有できる親しい間柄などで、状況の過酷さをユーモラスに表現する際に留めるのが無難です。
助けを求める際は、状況を説明し、丁寧な依頼の言葉を添えるのが基本的なマナーです。
まとめ – 「立っている者は親でも使え」から学ぶ現代の知恵
「立っている者は親でも使え」は、非常に忙しい時には立場に関わらず協力すべきだ、という合理的な考えを示すことわざです。
その真意は、非常時には遠慮なく助けを求めることの重要性にあるとも解釈できます。
ただし、現代では効率優先でも相手への敬意は不可欠です。
この言葉の精神を「困った時は互いに助け合う」という前向きな協力の奨励として捉え、状況に応じた適切なコミュニケーションを心がけましょう。
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