「武士は食わねど高楊枝」の意味・語源・由来
意味
「武士は食わねど高楊枝」とは、武士は貧しくて食事ができないような状況でも、あたかも満腹であるかのように楊枝を使って見栄を張る、という意味のことわざです。
武士の気位や体面を重んじる精神を表すとともに、やせ我慢や虚勢を張ることを揶揄する意味合いも含まれます。
ここで言う「高楊枝」とは本来、食後に歯の清掃をする際、口元を隠し、上品に見せるため、あるいは食後の満足感を示すため、通常より高い位置で爪楊枝を使う所作のことです。
このことわざでは、そこから転じて、「(実際には食べていないのに)食後であるかのように、上品ぶって楊枝を高い位置で使う」という、見栄や虚勢を張る行為、あるいは、やせ我慢をする様子を指しています。
語源・由来
このことわざは、江戸時代の武士の生活や価値観に由来します。
武士は、たとえ経済的に困窮していても、その窮状を悟られないように振る舞い、武士としての誇りを保とうとしました。
食後に楊枝を使うのは、食事が十分に摂れたことの証であり、たとえ食事ができなくても、楊枝を使うことで、周囲に心配をかけまい、武士の面目を保とうとしたのです。
しかし、この行為は、実情とは異なる見栄や虚勢を張る行為として、揶揄の対象ともなりました。
「武士は食わねど高楊枝」の使い方(例文)
- 「友達がブランド品を見せびらかしてるけど、給料日前で食費を削ってるらしい」
「まさに武士は食わねど高楊枝だね。見栄だけは一丁前だよ」 - 「うちの部長、会社の業績悪化でボーナスカットされても、高級車乗り続けてるよ」
「武士は食わねど高楊枝の精神を地でいってるね」 - 「彼女、彼氏と別れたばかりなのに、SNSでは毎日楽しそうな投稿してる」
「武士は食わねど高楊枝で強がってるんだよ。実は泣いてるかも」 - 「苦しい家計でも、子どもの教育だけは一流にこだわる姿勢は立派だと思う」
「武士は食わねど高楊枝という言葉、時には美徳を表すこともあるんだね」
「武士は食わねど高楊枝」の文学作品での使用例
「…御家中の士(さむらい)と云うものは、武士は食わねど高楊枝と申して、空腹を抱えても、楊枝を使うて済している…」
(森鴎外「堺事件」より)
「武士は食わねど高楊枝」の類義語
類義語(ことわざ・慣用句)
- 痩せ我慢(やせがまん):つらくても我慢して、平気なふりをすること。
- 虚勢を張る(きょせいをはる):実際よりも強く見せかけようとすること。
- 空威張り(からいばり):実力がないのに、威張ること。
- 見栄を張る(みえをはる):体裁を繕うこと。
- 粋がる(いきがる):格好つけて、強そうに見せる。
関連する概念・心理
- 武士道:「武士道精神」「気位」「誇り」
- 見栄・体面:「外面(そとづら)」「世間体」「プライド」
- やせ我慢・虚勢:「強がり」「虚栄心」「見栄っ張り」
「武士は食わねど高楊枝」の対義語
- 実るほど頭を垂れる稲穂かな: 人間は学問や徳が深まるにつれて謙虚になるものだという教え。
- 正直: 嘘や偽りがないこと。ありのままであること。
- ありのまま: 偽りや飾り気がない様子。
使用上の注意点
このことわざは、肯定的な意味と否定的な意味の両方を持っています。
武士の気概を評価する文脈でも使えますが、多くの場合、やせ我慢や虚勢を揶揄する文脈で使われます。
使う場面や相手には注意が必要です。
「武士は食わねど高楊枝」に類似した英語表現
A hungry man, a proud man.
直訳:空腹の男は、誇り高い男だ。
意味:貧しくても誇りを高く持つこと。(日本語の「武士は食わねど高楊枝」にかなり近い意味)
例文:
He may be poor, but he still has his pride. A hungry man, a proud man.
(彼はお金がないかもしれないが、誇りは持っている。武士は食わねど高楊枝だ。)
Put on a brave face
意味:(困難な状況でも)勇敢な顔をする、平気なふりをする。
例文:
She was deeply hurt, but she put on a brave face.
(彼女は深く傷ついたが、平気なふりをした。)
まとめ
「武士は食わねど高楊枝」は、空腹でも見栄を張り、威厳を保とうとする武士の姿を描いたことわざです。
お腹が減っていても、高々と楊枝を使う姿は、貧しくても誇りだけは捨てない気骨の表れ。
現代では、強がりや見栄を張ることへの皮肉として使われることが多いですが、逆境でも気高さを失わない精神を称える意味でも使われます。
このことわざからは、困難な状況でも自分の信念や誇りを大切にする姿勢を学べる一方、時には素直に弱さを認める柔軟さも必要だということも教えてくれています。
TPOに応じて「見栄を張る時」と「素直になる時」を使い分けられれば、このことわざの真の智恵を活かした生き方と言えるでしょう。
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