意味・教訓
「天は二物を与えず」とは、一人の人間に、才能、容姿、財産など、全てにおいて優れたものを二つ以上与えることはない、という意味のことわざです。
人は誰でも長所と短所を持ち合わせており、全てにおいて完璧な人間はいないということを表しています。
また、一つの優れた才能を持っている人は、他の面では欠点があることが多い、という意味合いでも使われます。
このことわざは、人間の不完全さを受け入れ、自分の長所を伸ばすことの重要性を示唆しています。
語源・由来
このことわざの直接的な語源は明確ではありませんが、古くから、人は全てにおいて恵まれることはないという考え方が、洋の東西を問わず存在していたことを示しています。
- 中国の古典:
例えば、老子の『道徳経』には、「大成若欠」(本当に完成されたものは、一見欠けているように見える)という言葉があり、完全無欠なものは存在しないという思想が見られます。 - 日本の古典:
『徒然草』などにも、人の世の無常さや、人の能力の限界を説く記述が見られ、「天は二物を与えず」に繋がる考え方があったことがうかがえます。
特定のエピソードに由来するというよりは、人々が長い歴史の中で経験的に得た教訓であると言えるでしょう。
「天」は、ここでは単なる「空」ではなく、運命や自然の摂理を司る超越的な存在、神のようなもの、といった意味合いを含んでいます。
この「天」が、人間に全てを与えることはない、という考え方が、ことわざの根底にあります。
使用される場面と例文
「天は二物を与えず」は、人の長所と短所について言及する際や、完璧な人間はいないことを示す際に使われます。
例文
- 「彼女は、誰もが認める美貌の持ち主だ。しかし、天は二物を与えず、その歌声は…。」
- 「天は二物を与えずとは言うけれど、彼は、才能もあって人柄も良い、珍しい例だ。」
- 「彼女は素晴らしいピアニストだが、天は二物を与えず、病気がちでコンサートの機会に恵まれない。」
- 「彼は仕事はできるが、天は二物を与えず、どうも人付き合いが苦手らしい。」
文学作品等での使用例
「人間到る処青山有り」と云ふ句がある。(中略)人間到る処に青山有りと云へば聞こえは好いが、夫(それ)と同時に「天は二物を与へず」と云ふ句もある。
夏目漱石「我が輩は猫である」より
この引用では、「人間到る処青山有り」(どこに行っても活躍できる場所がある)という希望に満ちた言葉と対比させる形で、「天は二物を与えず」を用いることで、人間の限界や不完全さを強調しています。
類義語
- 虻蜂取らず(あぶはちとらず):二つのものを同時に得ようとして、両方とも失うこと。
- 一得一失(いっとくいっしつ):何かを得れば、何かを失うこと。
関連語
- 長所短所:その人の良いところと悪いところ。
対義語
- 多才多芸(たさいたげい):多くの才能や技能を持っていること。
- 才色兼備(さいしょくけんび):才能も容姿も両方優れていること。
英語表現(類似の表現)
- God gives no complete blessing.
直訳:神は完全な祝福を与えない。
意味:天は二物を与えない。 - Nature is seldom in extremes.
直訳:自然はめったに極端ではない。
意味:完全に優れたもの、劣ったものはめったに存在しない。 - Every light has its shadow.
直訳:すべての光には影がある。
意味:良いことばかりではない。
使用上の注意点
このことわざは、誰かに欠点があることを指摘する際に使うと、相手を傷つける可能性があります。
使う場面や相手には注意が必要です。
また、全ての人に当てはまるわけではなく、あくまで一般的な傾向を述べたものであることを理解しておく必要があります。
さらに、このことわざを、努力や成長の否定と捉えるべきではありません。
まとめ
「天は二物を与えず」ということわざは、すべてにおいて完璧な人はいないことを示し、誰もが長所と短所を持っているという教訓を伝えています。
この言葉を心に留めることで、他人の欠点に寛容になれるだけでなく、自分自身の不完全さを受け入れ、長所を伸ばす努力ができるでしょう。また、他人の才能を羨むのではなく、自分が持っているものに感謝し、それを活かす方法を考えることが大切です。
完璧を求めるのではなく、「一得一失」の精神を大切にし、バランスの取れた人生を目指しましょう。
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