「後は野となれ山となれ」の意味・語源・由来
意味
「後は野となれ山となれ」とは、目先のことだけを考え、将来のことを顧みない無責任な態度を表すことわざです。
自分の行動の結果、後でどんなことが起ころうと知ったことではない、という「投げやりな心理状態」を指します。
一時的な感情や欲望に流され、長期的な視点や責任感を欠く様子を表す際に用いられます。
元は「野や山はどうなっても構わない」という意味で、そこから転じて無責任な態度を表すようになりました。
語源・由来
このことわざの正確な起源ははっきりしていませんが、江戸時代には既に使われていたようです。
由来には諸説あります。
- 武士の戦場での心構え
武士たちは常に死と隣り合わせの生活を送り、「今日を精一杯生き、明日のことはどうなろうと構わない」という考え方が生まれたという説。 - 遊郭での放蕩
江戸時代、遊郭で遊ぶ人々の中には、将来のことを考えず、その場限りの快楽に溺れる者もいました。
井原西鶴の「好色一代男」などにも、そのような放蕩生活の様子が描かれています。 - 農民の諦観
飢饉や重税に苦しむ農民が、「どうせ苦しい生活なのだから、将来を考えても仕方がない」と諦めの境地に至ったという説。
いずれの説も共通しているのは、「将来への責任を放棄し、目先の状況にのみ囚われる心境」を表している点です。
「後は野となれ山となれ」の使い方(例文)
- 「今さえ楽しければいいと、彼は後は野となれ山となれの生活を送っている。」
- 「後は野となれ山となれとばかりに、貯金を使い果たしてしまった。」
- 「将来のことを考えず、後は野となれ山となれの精神でギャンブルに興じるのは危険だ。」
- 「目先の利益だけを追求し、後は野となれ山となれという経営方針では、会社は長く続かないだろう。」
- 「彼女は、後は野となれ山となれと、その場の勢いで高価な買い物を繰り返している。」
「後は野となれ山となれ」の類義語
- 後はどうなろうと構わない:その後のことはどうなっても良いという投げやりな状態。
- 破れかぶれ:自暴自棄になり、どうなってもいいとやけになること。
- 捨て鉢:希望を捨てて、どうなってもいいと思うこと。
- その日暮らし:将来の計画を立てず、その日その日をどうにか過ごすこと。
- 刹那主義:今この瞬間だけが重要で、将来のことは考えないという考え方。
- 当たって砕けろ:結果を考えず、思い切ってやってみること。
(ややニュアンスが異なるが、勢いを重視する点で共通性がある)
「後は野となれ山となれ」の対義語
- 備えあれば憂いなし: 事前に準備をしておけば、いざという時にも心配がないこと。
- 先見の明:将来のことを前もって見通す能力。
- 計画性:物事を始める前に、手順や方法をよく考えること。
- 堅実:手堅く確実なやり方で、危なげがないこと。
- 石橋を叩いて渡る:非常に用心深く、安全を確認して物事を行うこと。
使用上の注意点
このことわざは、無責任さや刹那的な考え方を非難する文脈で使われることが多いです。
肯定的な意味で使われることはほとんどありません。
使う場面や相手には注意が必要です。
「後は野となれ山となれ」に類似した英語表現
Let the devil take the hindmost.
直訳:最後尾の者は悪魔に取られよ
意味:自分のことだけを考え、他人を顧みない態度。弱肉強食。
例文:
He spent all his money on luxuries, living by the motto “Let the devil take the hindmost.”
(彼は贅沢品にお金を使い果たし、「後は野となれ山となれ」のモットーで生活していた。)
After us, the deluge.
直訳:我々の後に洪水が来ても構わない。
意味:自分たちの後のことはどうなっても構わないという無責任な態度。(フランスのルイ15世の愛妾ポンパドゥール夫人の言葉とされる)
例文:
The company’s CEO only cared about short-term profits, saying, “After us, the deluge.”
(その会社のCEOは短期的な利益しか考えておらず、「後は野となれ山となれ」と言っていた。)
I don’t care what happens. / I don’t give a damn.
意味:何が起ころうと気にしない。/ どうでもいい。
例文:
He said, “I don’t care what happens after I’m gone.”
(彼は「私が死んだ後、何が起ころうと知ったことではない」と言った。)
Let the devil take the hindmost.
直訳:最後尾の者は悪魔に取られよ。
意味:他人のことは顧みず、自分だけが助かればよいという考え方。
Que sera, sera.
直訳:なるようになる
意味:未来のことはどうなるかわからないし、気にしても仕方がないという考え方。
英語圏で広まったフレーズで、1956年の映画『知りすぎていた男』の主題歌で有名に。
「後は野となれ山となれ」とほぼ同様の意味だが、こちらは楽天的なニュアンスが強いため、完全な同義ではない。
※文法的には正しいスペイン語やフランス語ではない。
まとめ
「後は野となれ山となれ」は、目先の利益や快楽を優先し、将来のことや周囲への影響を考えない無責任な態度を表すことわざです。
この言葉は、否定的な意味合いで使われることがほとんどであり、長期的な視点を持つことの重要性を示唆しています。
類義語や対義語、英語表現と合わせて理解することで、より深くこのことわざを使いこなせるようになるでしょう。
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